どうも、太一です。
八月に入ってから更新微妙に遅くなったな。
てか、もう八月も中旬に入ろうとしてるからな。
本当に今年の夏は過ぎるのがはやいよ。
まあ、ブログ書きますよ。
今日は作曲家について書こうかなw
というか、音楽系の作家についてかな。
ここ数年で、自分の曲のメロディを
変えられることに抵抗を感じなくなった。
以前は絶対嫌だった。
自分の曲だもの。
何より自分の作ったメロディに誇りを持っていました。
作家だけでなく、絵描き、写真家、シナリオライター。
芸術関係に携わる人ならそれなりの誇り、プライドはあるでしょう。
だけど、俺は「作曲家」なんだよね。
ボーカリストやシンガーソングライターなら
このプライドは必須でしょう。
自分を表現するための手段だし
これを表現しなければ、何を表現するのか。
歌を、メロディを表現するのがアーティストの仕事。
だとしたら、作曲家はクライアントがあっての仕事。
自分を表現したいのであれば、アーティストになるか
誰かをプロデュースするか。
又は、自分の作り上げたものが良いことをプレゼンして
納得させること。
作曲家は、クライアントの要望に答えるために。
アーティストの個性を引き出してあげるために曲を書く。
メインはアーティストであって、作曲家ではない。
だから、アーティストがメロディを変えたいと言うのであれば
その人の為の曲として、曲を作らなければならない。
それが作家の仕事だから。
メロディを変えたいと言われれば、変えてきたしね。
でも、実際はどうしても割り切れないと言う人もいる。
それが厄介だったりする。
以前、歌詞をお願いした人がいるんだけど
その人は自分の歌詞を変えられることに強い抵抗感を持っていた。
でも、作品はアーティストのものであり、作曲家である。
このケースだと、提供者用の曲ではないので、俺のデモの曲。
だから、俺のための曲になる。
つまり、俺が歌詞を変えたいといえば、その要望に答えるのが
作家の仕事なのである。
だから、それを拒否したり、文句を言われるとね....
そのくせ、自分でプライドがどうこうと言い張る。
随分と都合の良いプライドなこと(´σ `) ホジホシ
俺はプライドと言う言葉が嫌い。
何よりプライドを掲げるということは
そのこだわりを絶対に捨てないということ。
それで、自分がその拘りとは違うことを言い出せば
それはそれで否定をする。
随分と都合の良いプライドなこと(´・д・`)
そんな作家に歌詞をお願いした曲をストックにあるのだけど
このままでは、楽曲が可愛そう。
それを救うべく、今は新たに楽曲を作り直している。
今度こそ、楽曲が楽曲らしくあるために。
だから作詞家は当然変えたし
某パワーコードのギターも差し替える。
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