何日かに分けて書いてたから
何書こうとしたか忘れてるな俺....
大学は本当にいろんな人と出会える。
仲良くなった人が増えたものの
結局同じように疑念の対象になったわけです。
仲良くなればなるほど、疑念は強くなる。
人間不信な人ってのはそういうもんです。
何人か、そういう目で見ていると
いつのまにか、自分がやられたことを
少しずつ同じように行っている事に気がつく。
そこで改めて、友達が自分に対してどう接してくれていたのかを
思い返すことになって、俺が思っているような
裏切りだとか、そういう思いが無いことにようやく気がつける。
大学を卒業してから、今でもたまに会ったり出来る。
そして、もう友達のことは疑わないようにしようと思ったわけです。
やっと前向きに接していけるようになったから。
最近は中高時代の奴が地味に戻ってきている。
以前俺に消された奴らw
何気俺のアドレスを残している奴らが
ぼちぼちいたらしい。
というか、この6、7年一度も俺がメールを送ってこないのに
よく残してあったなぁと思うよ。
だって、大学時代には4回ぐらいアドレス変えてるのよ?
その間にエラーメールがいってていいだろう。
そして、アドレス変えたことに気がつくはずwっていうね。
何事もなく、アドレス変更を知らせてきたってことは
俺が一度もアドレス変更したことに気がつかず
そして俺に対して、今のメアドに戻すまで
一度もメールを送ってこなかったということだね。
いるもんだねぇ....
俺なんて、卒業する前から気に入らない奴のメアドは
消してるっていうのにw
昨日も3人ほどメアド消したしw
でも、今こうしていろんな人とちゃんと接していられるのは
ちゃんと向き合ってくれた人がいたから。
そして、以前みたいにいちいち疑念を持つことをやめたから。
しかし、最近はちょっとゆるくなりすぎたかな。
疑念を持たなくなっただけであって
過去にあった出来事自体を許したり、考え方を改めた覚えは全くない。
だから、許せないことは許せないし
思い出したくないことは思い出したくない。
だから、メモリを消した相手を戻したいなんて願いは
全くもってないのです。
少しの人ぐらいなら、メールしててもいいかなとは思ったけど
最近は中高時代の奴らが増えすぎた。
それは、直接関係なくとも
思い出したくない記憶へ間接的に近づくことを意味する。
どういうことかっていうと、余計なうわさ話が入るようになる。
ただでさえ親が実家にいるから、そっからだけでも
誰がどうこうって話は入ってくる。
そこで、中高時代の友達が入ってきたらどうよ?
余計に情報拾うよね。
そうなると、自然に嫌いな奴へと結びつくわけ。
増えていけば増えていくほど....ね。
これ以上の再会は、冷めていた記憶へ
また戻ってしまう。
忘れていた想いがまた蘇える。
聞きたくなかった話や出来事も正直入ってきてる。
今いる場所と違って
あそこには嫌な思い出と記憶しかない。
というか、今もこうして知らなくてもいいことが
きっと増えていることでしょう。
俺にとってのふるさとは、心の癒しでもなければ
思い出の場所でもない。
あるのは嫌悪感だけ。
だからこそ、ふるさとが嫌い。
帰ることに意味なんてない。
だってもうあの土地に必要なものはない。
一緒にいたい人はいない。
もう求めてなんかない。
必要な人はもう揃っている。
だからこそ、転勤だとか何だとかで
会える距離から誰かがいなくなるのが嫌なんです。
卒業したって、その気になればすぐに会ったり出来るし
予定さえ会えば再会なんてすぐ出来た。
でも、自分の知っている場所からいなくなってしまったら
いつ会えるのかなんてわからない。
仕方ないと言えばそれまでだけど
ただの他人と、友達では全然違うから。
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